特別対談 04 楽しむ勇気と諦めるということ

鏑木:
僕、すごくお聞きしたいことがあったのですが、100日間連続で山に行って来るという修行をされると聞いたんですね。
我々は楽しみで山を走るという世界なんですけれども、やはり同じフィールドを連続100日間、しかもものすごくハードなコースじゃないですか。いわゆる信仰上の気持ちからやってらっしゃるんですが、そもそものモチベーションですよね、動機付けというか。どんなところにあるのかすごくお聞きしたくて。

田中:
そうですね…修行に入る行者の個人の想いというのはそれぞれ別で、決して一律のものではないと思うんですね。それはもういろんな想いがあるのですが、体力がある人もない人も、山との関わり自然との関わりが上手く整ってないと歩けない。
それは御本尊のお力を感じて歩くことにもなるし、自分の愚かさや自分のいろんな想いが湧いては出て湧いては出てするんですけれども、そのうちそれも解けてくる。最後まで元気に歩く行者もいるし、最後はもうふらふらで帰ってくる行者もあります。
まあちょうどいいのが100日でね、100日で成満をして何か山の蔵王権現様、御本尊、役行者の加護があって行じていることを知らされてね、自分が勝手に生きているのではないな、そういう世界をある種、行の中に確立化できて越えているような気がしますね。
トレイルランニングではどうですか?

鏑木:
僕は苦しいことを楽しむ、ということですね。苦しいことなんて日常やる機会ないじゃないですか。
言い換えればめったに味わえない苦しい状況も含めて楽しもうという。サインと一緒に書くんですけどね、「楽しむ勇気」って。「オレ、こんな苦しいところまでやってるよ、へへへ」みたいな(笑)。それがすごく重要ですね。それを乗り越えると無心の境地ですよね。何も考えてない、ひたすらゴールへ突き進んでるという自分というか。それが心地よくもありますよね。

田中:
修験道の場合も少し似ているところもあるんですけどね。私は「諦めるしかないな」と。
諦めた時には歩けるんです。例えばここで止めたらこういう理由がたつとかいろいろ考えるじゃないですか、それも諦める(笑)。来たんやから行かなしゃあないやないかと。
とにかく行こ、と諦める。諦めるのがいちばん。自分のいろんな想いも諦める。
それしかないんですよ。足が痛い、痛いけどしようがない、諦めて歩こう、と。ひきつっても、怪我しても、まあ怪我したもんはしようがないと諦める、受け入れる。
そうすると終わった後にね、ありがたいんですよね。
自分の足にもありがたいし、助けてくれた周りにもありがたいし、いろんなものがありがたい。
それは途中で諦めたりいろんな理由をつけてリタイアすると、ありがたいというところまで心がいかない。
始めからありがたいと思ってたら嘘ですよね。本当に苦しいところを乗り越えて、諦めて到達すると、本当にありがたい。

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