村上:
こういう環境の中だと、どんな教えが出てくると思いますか?
天平:
今朝考えていたんですよ。おこがましいですけれど、僕が仮に空海さんだったら、こんなに寒いところ、なんで修行場に選んだのかなと。寒いからこそ、修行の役に立つと思ったところがあったんですかね?
村上:
例えばね、都の人たちがコーティングしているということは、頭で考えているということだと思うんですよ。作らなきゃ、守らなきゃっていうことってあるでしょ。
天平:
そうですね。
村上:
理屈でもって、とにかく頑張らなきゃっていうのが。コーティングを取っちゃったら、どこで考えると思います?
天平:
ええ・・もう、感覚じゃないですか?
村上:
そうなんですよ。感覚で考えたら、どんな教えが出てくると思います?
天平:
教え・・・。
村上:
天平さんが作曲するじゃないですか?ピアノ弾くじゃないですか?それはどういうことですか?
天平:
ああ! 何もないところから物事を生みだすってことですね。
村上:
そうそうそう。
天平:
何もないところからだけれども、今までの自分の経験、思い出、体験、自分の心が揺り動かされた出来事をもとに、無から物事を作り出すってことが作曲ですね。
村上:
実はね、空海がやろうとしたのはそれなんですよ。
だって何もないでしょ。絶対的なものは何もないわけでしょ。だけれども、じゃあないのかって言われたらやっぱりありますよね? 無から有を作るというのは、頭で仕上げることじゃなくて、その時の自分が感じた、まさにいろんな体験。これが密教で言うと修行になるわけですね。密教の修行体験の中で、自分が五感で感じたこと、それをどう表現するかっていうことなのですよ。
天平さんもそうでしょ。感じたことを表現しようとするでしょ。
天平:
そうですね。それの最終的な行きつく先の境地が、悟りってことですか?
村上:
悟り、じゃだめなんですよ。悟って、仏になって、それでいいのか、っていう問題があるわけですよ。何のために仏になるのか。
仏陀は悟った時に、自分の悟った知恵はわからないだろうと、だから悟りは自分だけのものにしよう、と言った。そしたら、梵天はね、そんなこと言わないで、その仏陀の教えを聞いて、そして悟る人が出てくるかもしれない。だからどうかその教えを広めてくれ、ということを頼むわけですよ。それで仏陀は最後までね、八十何歳までですね、インドの各地を歩いていくわけでしょ。それが、実は、お大師さん(空海)にとっては大切だったんですね。
悟って、仏陀になって黄金に輝くのではなくて、動きましょう、仕事をしましょうっていうわけですよね。それこそが成仏なんだ、仏なんだと。人を助けることが仏なんだという、そういう考え方の根本は、若い時の経験なんですよね。一般の学僧となる勉強ではなくて、現実の姿を見ながら、仏教とは何かということを考えたのですよね。世間的にはドロップアウトして苦労をしているわけですから、そこで感性を磨いたんですよ。