村上:
天平さんはどうですか、そういう意味では。
天平:
若い時ですか? 僕は、人生って一回しかないと思いながら生きているんですね。
やっぱり後悔はしたくない、ほんとうにしたいことは何かとそのつどそのつど考えて、いろんなことにトライしてきたんですね。ピアノは小さい時にやってはいたんですけれども真剣にやっていなくて。高校もすぐやめて、肉体労働を転々としながら、16歳くらいの時に家の解体業をしながら、大阪で一人暮らししていたんです。その人生も楽しかったんですけれども、毎日同じサイクルなんですね。何か変えようと思わない限り、ずっと5年も10年も同じ人生だろうなと思ったんですよ。
一回しかないのに、これはちょっともったいない、何か新しいことにトライしてみたいなと思って、自分の中で人より何が優れているか、何がしたいのか、考えてみたんです。そうすると、フィジカルな面で人よりちょっとタフな部分があるっていうことと、子どものときに音楽をちょっと習ったことがあるっていうこの2つだけだったんです。
そこで、フィジカルな部分はずっと使ってきたし、もうひとつの音楽のほうにちょっと賭けてみようと思いまして、17歳くらいの時から、音楽専門学校に入ってバンド系の音楽をし始めたんですね。
それからすごく真剣にやり始めて、大学に行くにあたってクラシックを勉強したいって思い始めるんですよ。それで大学に入って2、3年したら、バンド音楽がちょっと物足りなくなってきたんですよね。ピアノ一本で、いろんなことを表現できるってだんだんわかったんですよ。大学の3回生くらいの時に、バンドマンじゃなくてピアニストになろうと思って、それからですね、もうずーっとピアノ一本でここまできたという人生なんです。
村上:
そうですか。いや、私もね、実は、大学ではヨーロッパ哲学をやっていたんですね。ルソーの研究ですけどね。それから山口大学へ行って、教授までしてるわけですよ。ところが、50前になってね、どうもヨーロッパの哲学だけでは限界を感じたんです。ヨーロッパの哲学はね、やっぱりキリスト教ですよ。根本がね。
天平:
はい。
村上:
「キリスト教、わからない」ってことがわかったんですよ。聖書を読んだって、キリスト教わかってないのです。宗教は、肌で感じるものだ。頭じゃなくて。肌なのですよ。五感で、毛穴で感じるんですよ。その時に何だろうと思ったら、仏教だったのです。仏教だったら何かね、わかるんじゃないかと。
それから内地留学しましてね、高野山大学に。それで、勉強していて、お大師様という人が面白そうだなと。そこで初めて、真言宗というものとお大師さんを知った。これは、知識ではない、行だと。ということがあって、3年後、加行をするためにまたここに来たのですよ。それで加行をやって、別に坊さんになるつもりはないのですが、加行をしないとわからない、と。やっているうちに、こちらへ来ないかというので来たのですよ。それで坊さんをやり始めたんです。
天平:
そうなんですね。感覚で感じたかったってことなんですよね。
村上:
そうそうそうそう。